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それから、知ったならば充実した生活に向けられたのではないかということも、私はそうだったろうと感じます。それから安らぎを得られただろうかということにつきましては、安らぎを得るまでに少なくとも1〜2週間は必要なのではないかと思いますので、それを早めるのは医療側のスキルではないかと患います。
この症例の問題点は、本人は知らせてほしいと言っているのに、その肝心の本人の希望が無視されて家族の希望が大きく取り上げられているというところに医療側に逃げがあったのか、それともこれが日本の文化ということで逃げていいことなのかというところではないかと思います。そこのところがきちんと整理されていると他の問題は全部解決したのではないかと思います。それは医療スタッフの支えがきちんとしていたように見えます。心を支える必要があると思いますし、身体の症状のコントロールもきちんとするということと、それから患者さんに共感の態度でケアにあたる、いろんな意味でのケアをきちんとすれば、仲間がいれば必ず回復しますからね。なぜ家族の意向を大きく取り上げてしまうのかというところを日本の医療は全般としてもう少し考え直す必要があるのではないかと思います。
発表者 本来は本人のことを最初に聞くべきだと思うのですが、4年間病気と付き合ってきた本人と29歳という年齢でかつ結婚もしていない、家族と同居してこの29年間を送ってきた、そういうところですごく迷ったこと、それから見た目にもうあと2週間生きるだろうかというのが来たときの状況だったのです。それで私たちにもどうすべきかという葛藤の時間がしばらくあったのです。
自己決定権をどこまで尊重するか
武田 この方が癌になる前の生活は家族のいうがままには動いてなかったと思うのです。自分の決断でやってきて、いちばん自分の人生にとって重要な病気になったときには家族に甘えた形のところにおかれたということは、本人にとってたとえ29歳であって、それが死を意味することであったとしても、たぶん本人は不満なのではないかと思うのですが、あなただったらいかがですか。自分でいろいろ情報を得て決めてきた人が、癌になったときだけそうでない環境におかれるというのは、癌を扱っている医師、看護婦はもう一度考え直す必要があるというように思います。
−12年ぐらい前にHoy先生からtruth tellingという言葉はあまり好きではないのだ、truth sharingという言葉を自分は使うようにしているとおっしゃっていたのが印象的で、私はそれ以後そのことについて考えをめぐらし、そのように心がけているのですが、この患者さんについても真実を分かちもっというスキルの問題についてHoy先生から話をうかがえたらと思いました。
Andrew 二つ言いたいことがあるのですが、一つはいわゆる告知のtruth tellingとかtruth sharingとかいうことではなくて、コミュニケーションー般ということでの原則原理ですが、よく聞いていればその本人が何を言ってほしいかということを、そのとおりの言葉で言わなくても何か鍵になるヒントを与えてくれる、本人からヒントを得るということ。
このケースヒストリーの難しさについては本当に同情するわけで、決して日本文化の問題ではなく、どこにでもありうる普遍的な問題だと思います。状況を自分が本当にコントロールできるのかできないのかということがプロとしての、何というか気持ちがすっきりできるところと、ちょっといやだと思うところがあるわけで、やはり状況をかなりコントロールしていたいということが先に出るために、本人が真実を伝えてほしいといった気持ちよりは、やさしい伝えないでほしいという家族の気持ちを優先させてしまうのであろうと思います。自分の気持ちの安らかさのためにあえてそれを選ぶのではなくて、こちらの気持ちが少し攪乱しても、本人の真実を聞きたいということを優先させるという勇気がいるのかもしれません。
日野原 日本における文化はまず身内の者、親戚が納得しなくてはならないという順序はあります。私もその順序は踏みますけれども、どうしてもそういかないときには、どれくらいの時間をお母さんと話をしたかということです。診断をし、治療をしたり、いろいろ検査をするのに費やした時間と、お母さんと話した時間と比べるとやはり少ないと思います。つまり私たちが説得をしたというのは、病室や廊下、あるいは小さな部屋で話すことではないと言いたいのです。

 

 

 

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